「喪の仕事」という言葉
人が何か大切なものを失った時に経るプロセスのことです。
対象喪失、とも言うそうです。
喪の仕事、って大事だよね、と強く思った僕は
例えば高齢者の配偶者が亡くなった時には、なるべく葬式に参列するよう勧めています。
どれだけ認知症が進行していても、動きが取れにくくてもなるべく。
これは喪の仕事のプロセスはライフにとても関わるからだと、考えています。
さて、先日の「テレフォン人生相談」で加藤諦三さんがおっしゃっていたのですが
この対象喪失のプロセスには必ず「絶望」があり、
それを通り抜けてから、回復していくそうです。
絶望って悲しいだろうな、苦しいだろうな、と思い、僕も号泣してしまいましたが(笑)
でも、避けては通れないし、重要なプロセスになります。
弟が亡くなってからもう10年以上経ちますが
あのころのことをたまに思い出します。
何を思ったか、彼に電話をかけ、声をきいた数日後に聞かされた訃報に
しばらく放心状態になり、そのあと10分だけ号泣したのを覚えています。
突然涙があふれ、抑えられなくなり、声を上げたのを覚えています。
10分したら落ち着き、いつ帰ったらいいか等打ち合わせをしたように覚えています。
あまりに冷静で、僕は弟のことを愛していなかったのか、と不安になったこともあります。
「いつ戻れるかわかりません」と当時の職場に告げて、遺骨を迎え、手を合わせた時も
まったく涙は出ませんでした。
「何やってんだ、こいつは」「もう会えないのか、寂しいな」などいろいろな感情があったように思います。
正直、母の方が心配でしたが、一週間くらいして大丈夫だな、とも思えたので、仕事場に戻りました。
(今思うと、一週間も仕事ほったらかしてよく許してくれたな、と)
それからも、僕は絶望に浸ったことはありませんでした。
思えば、あの10分間で絶望まで一気に進んでいってしまったのかもしれません。
ただ、僕の心の中には彼がいます。
最愛の家族が出来た時にも報告しにいったし
年に1回は必ずお墓参りにも行っています。
彼が亡くなった時のことを教訓として、今の家族を守れている気もしますし、彼も僕たちをどこかで見て笑っていやがることでしょう。
人の人生には波があるわけで、乗り越えてもまた新たな波が来ます。
今の自分は何を大事に生きていくのか、それを大事にして、波を乗り越えていきたいと思います。
甘えてるとか、逃げてるとか、もう言われ慣れてる感がありますが
それ、まさしくそれが僕なんで、どうもすいません(笑)
と、いうわけでですね
何かしらの参考になれば、と思って久々に書いてみました。
参照:
対象喪失
https://www.direct-commu.com/colums/mental/mental_012_03_kanashimi.html
人生相談
http://tel-soudan.com/subject-loss-180730/
上記相談内容の録音↓
https://www.youtube.com/watch?v=cbdLIhtTfkk
なんかやっぱりこういう話、好きなんですよね。
あ、音楽の事ですが、別に忘れたわけではありませんよ
No Music No Life です。
ただ、今はどうしてもできないんです。
この話は、またそのうち。