2018年8月3日金曜日

喪の仕事

以前、坂本龍一さんと村上龍さんの本を読んだ時に知った
「喪の仕事」という言葉

人が何か大切なものを失った時に経るプロセスのことです。
対象喪失、とも言うそうです。

喪の仕事、って大事だよね、と強く思った僕は
例えば高齢者の配偶者が亡くなった時には、なるべく葬式に参列するよう勧めています。
どれだけ認知症が進行していても、動きが取れにくくてもなるべく。
これは喪の仕事のプロセスはライフにとても関わるからだと、考えています。

さて、先日の「テレフォン人生相談」で加藤諦三さんがおっしゃっていたのですが
この対象喪失のプロセスには必ず「絶望」があり、
それを通り抜けてから、回復していくそうです。
絶望って悲しいだろうな、苦しいだろうな、と思い、僕も号泣してしまいましたが(笑)
でも、避けては通れないし、重要なプロセスになります。

弟が亡くなってからもう10年以上経ちますが
あのころのことをたまに思い出します。
何を思ったか、彼に電話をかけ、声をきいた数日後に聞かされた訃報に
しばらく放心状態になり、そのあと10分だけ号泣したのを覚えています。
突然涙があふれ、抑えられなくなり、声を上げたのを覚えています。
10分したら落ち着き、いつ帰ったらいいか等打ち合わせをしたように覚えています。
あまりに冷静で、僕は弟のことを愛していなかったのか、と不安になったこともあります。
「いつ戻れるかわかりません」と当時の職場に告げて、遺骨を迎え、手を合わせた時も
まったく涙は出ませんでした。
「何やってんだ、こいつは」「もう会えないのか、寂しいな」などいろいろな感情があったように思います。
正直、母の方が心配でしたが、一週間くらいして大丈夫だな、とも思えたので、仕事場に戻りました。
(今思うと、一週間も仕事ほったらかしてよく許してくれたな、と)
それからも、僕は絶望に浸ったことはありませんでした。
思えば、あの10分間で絶望まで一気に進んでいってしまったのかもしれません。
ただ、僕の心の中には彼がいます。
最愛の家族が出来た時にも報告しにいったし
年に1回は必ずお墓参りにも行っています。
彼が亡くなった時のことを教訓として、今の家族を守れている気もしますし、彼も僕たちをどこかで見て笑っていやがることでしょう。

人の人生には波があるわけで、乗り越えてもまた新たな波が来ます。
今の自分は何を大事に生きていくのか、それを大事にして、波を乗り越えていきたいと思います。
甘えてるとか、逃げてるとか、もう言われ慣れてる感がありますが
それ、まさしくそれが僕なんで、どうもすいません(笑)

と、いうわけでですね
何かしらの参考になれば、と思って久々に書いてみました。

参照:
 対象喪失
https://www.direct-commu.com/colums/mental/mental_012_03_kanashimi.html

 人生相談
http://tel-soudan.com/subject-loss-180730/
上記相談内容の録音↓
https://www.youtube.com/watch?v=cbdLIhtTfkk


なんかやっぱりこういう話、好きなんですよね。


あ、音楽の事ですが、別に忘れたわけではありませんよ
No Music No Life です。
ただ、今はどうしてもできないんです。
この話は、またそのうち。

0 件のコメント:

コメントを投稿